yutuki2tuki's blog

なにもしていません

[映画]ロッキー5

泣けた。弱さを抱えたロッキーは心を揺らす。「クリード」がきっかけで「ロッキー」シリーズを観るようになったのだが、「クリード」は「ロッキー5」の本歌取りなんだなと。ラストの野外喧嘩はボクシングより痛々しいが、テーマ音楽が流れたので安心した(暴力シーンは苦手なんで)。シリーズ終了の映画としてはいい幕引きをしてるのではないか。
あと回想するミッキーが次第に恐ろしくなっていき、びびった(素朴な感想…)

[映画]ロッキー4

シンプルな物語、明快なテーマ、スタイリッシュな映像、キャッチーな音楽、とエンタメ作品としてよく出来ていた。泥臭さはないんだけど(アポロもガンガンフラグを立てながらあっさり亡くなるし)、それは「ロッキー1」で愉しめばよいのだから。2、3続けて観てきたが、この2作より好き。

猪瀬直樹『天皇の影法師』(中公文庫) 感想

天皇の影法師 (中公文庫)

天皇の影法師 (中公文庫)

ブクログから転載

先日に今上陛下の「生前退位」にかかわるお言葉があったが、そもそも天皇とは何かを考えるうえで豊饒な知見を与えてくれる一冊。ある断片的なエピソードから始まり、それを綿密に追うことで闇に隠れた歴史を明らかにしていく、その見事な筆致はさすが猪瀬直樹

本書は大きく4章に分かれる。
大正天皇崩御から新元号「光文」誤報の顛末を描く「天皇崩御の朝に」。
八瀬童子と呼ばれる歴代天皇の棺を担ぐ村民を追った「棺をかつぐ」。
森鴎外は最晩年になぜ『帝諡考』『元号考』という歴史を書かねばならなかったのかを問う「元号に賭ける」。
敗戦ののちに松江で起きた擾乱とその顛末から見える戦後「恩赦のいたずら」。

どれも興味深い話だが、とりわけ「元号に賭ける」は、40ページほどの掌編だが、先に述べた天皇を考える上での重要になると思う。猪瀬は「生前退位」に関しては、「懐疑的」というアンビバレントな態度を示しているが(右のリンク先の動画10分過ぎを参照 https://youtu.be/k3IFr5p0GVc )、本書を読めばその意味がわかるだろう。印象的なテキストを引用する。

「まさかお父う様だつて、草昧の世に一国民の造つた神話を、その儘歴史だと信じてはゐられまいが、うかと神話が歴史でないと云ふことを言明しては、人生の重大な物の一角が崩れ始めて、船底の穴から水野這入るやうに物質的思想が這入つて来て、船を沈没させずには置かないと思つてゐられるのではあるまいか」
提出されているのは、神話と歴史、信仰と認識を峻別した上で、なおかつそれらを統合する倫理基準を築くことは可能か、という問いである。
天皇の影法師』(中公文庫)pp.205-206

「コクリコ坂から」と「シン・ゴジラ」

コクリコ坂から [Blu-ray]

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録画していた「コクリコ坂から」観た。劇場で観たきり2度目になるが、やはりたいへんに良い作品だった。以前に観た際には、登場人物の礼儀作法を通じた感情の抑制、そしてその逆方向としての感情の発露があり、それが映画の緊張感を生むと指摘した。その詳細は省くが今回観て感じたのは、その作法の下地となるそれぞれの「領分」についてだった。

映画「コクリコ坂から」では、松崎海(メル)と風間俊との、出生の秘密を絡めながらの恋物語を中心に、同時に古き良き部活棟「カルチェラタン」の取り壊し中止を巡る学生たちの活動が描かれる。「カルチェラタン」は女子の寄り付かない男子たちの巣窟であり、そのため取り壊し中止の運動も全校生徒の賛同を得られないままでいるが、物語が進むなかでメルの提案でカルチェラタンの大掃除を行うと、その価値が認められて、全校生徒の賛同を得ていく。

このカルチェラタンに象徴される、男子高校生らが活動=趣味に没頭し議論を戦わせながら馬鹿なことをやっている「オトコノコの領分」がある。また、これを冷やかしながらも遠巻きに見守っている「オンナノコの領分」がある。領分を認めるということは、自治を認めることであり、自主を肯定することであり、干渉をしないことである。それら「子供の領分」に対し「大人の領分」がある。

「オトコノコの領分」でしかなかったカルチェラタンの取り壊しが回避されるのは、メルの介入によって「子供の領分」となり、「大人の領分」である理事長と渡り合うからではないか。それら領分を越境するために、礼儀作法は呼び出されるのだ。

僕が思ったのは、現代ではこの「領分」が急速に消失しているのではないか、ということなのだ。あなたから見えるあなたの世界を認める前に、私から見たらあなたの世界は認められない、と礼儀作法がないままに干渉してくる。そのようなことがまかり通っているように思える。

例を出す。シンゴジラのPのインタビューで「「大人向けにしよう」と、女性とか子どもとか意識しない」脚本にした、と答えたことが批判されている。
bylines.news.yahoo.co.jp

その指摘はいわゆるポリティカルコレクトネスだ。つまり、「東宝の認識では、女性は大人ではないのか!」と。更に可笑しいのは「シンゴジラは女性にも面白い作品であり、東宝は女性を馬鹿にしている。正しくは『人間向け』なのだ」と。僕は本当にこういう議論は苦手で、じっさい何も生まないと思う。

読んでみればわかるが、この言葉の発言主は庵野さんだ。ここで「領分」の話と繋がるのだが、僕が思うに、庵野さんは「オトコノコの領分」で映画を撮りたかったのではないか。そしてそれが実現し、結果「オトコノコの領分」が「オンナノコ」にとっても面白いものになったのでは、ということである。

ここで傍証するのは、たまたま特撮博物館の図録を直前に読んでいた桜井浩子さん(フジ隊員な)の記事。
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記事は庵野さんと初めて出会った時の事から始まり、それをきっかけに庵野さんのほか樋口さんなどと何度も会合を重ねていく、と語りが進む。そんななかで、桜井さんはかつて見た、円谷英二ほかクリエイター達の情熱を彼らに重ねていく。

「当時、10代の新米女優だった私に〈男の子たちって凄い!〉と思わせた熱情を、庵野さん達の中に発見した」。エヴァほか彼らの過去の作品を見るうちに「彼らこそ、円谷特撮を継承する人達!」と確信する。

「そんなある時、珍しく庵野さんが酔って自分の夢を語り出した。その庵野さんの言葉に頷く樋口さんや原口さんの少年のような表情が、印象的だった…朦朧としながら彼らの想いを子守唄の様に聞いていた。〈いいなあ…男の子達の夢…〉」

この夢が、特撮博物館という現実となって動き出すことになる。庵野さんの、この一途さ、想いを実現する魂の強さに桜井さんは感激し、「やっぱり〈男の子達って、凄い!〉」と締める。

この桜井さんの視線に、これまで僕が語った「コクリコ坂から」の「領分」についての同型性を見る。それは、オトコノコに開き直るのではなく、そこから出発することに価値がある。

個人的なことを抽象的に言えば、この「オトコノコの領分」をいかに確保するか、そして「オンナノコの領分」も「大人の領分」も認めて、礼儀をもって共生するか、ということなのかもしれない。そんなことを思った。

小人論

評論家の宇野常寛さんとノマドで有名な安藤美冬さんのニコ生を見ている。安藤さんの彼氏できた話から宇野さんの小人論の話に。そのなかで安藤さんが「自分から小人になっていた」という発言に、僕はだいぶ啓蒙された。そうだよな、自分から小人になってたよなと返す返す……ぐぬぬ。

信じられるということ、群馬5区について

挨拶に立った前原国交大臣はまず、「皆さんには何の瑕疵もない。被害者である。大変な困惑と怒り、迷惑と将来に対する不安を抱かせてしまっていることは政治の責任である」と述べ、長年に渡る反対運動の末にダム建設という苦渋の選択をした参加した地元住民に対し陳謝した。

そのうえで、「なぜ民主党政権はダムの建設中止を決断したか」と切り出すと、多くの日本人が抱えている日本の将来への不安は、(1)人口減少、(2)65歳以上の人口比率が高い少子長寿化により働き手が減少し社会保障が必要な人口層の増大、(3)900兆円を超える莫大な借金−−の3点が主な原因であると分析。民主党はこれを前提に税金の使い方を大きく変えていくと約束して政権に就いたとして、公共事業を圧縮し医療・介護・年金といった社会保障の充実や教育、子育て支援に充てていく必要性を訴えた。
(中略)
「これまでダムありきの生活再建策を考えてきたのですぐに切り替えはできない」「近隣地域を含め手厚い保障を」などとする声が相次いだ。

これに対し前原国交大臣は、公共事業全体を見直す必要性を重ねて訴え、一度始めたら止まらないこれまでのあり方を改め、法律や予算的裏づけを行いながら生活再建を保障していくと主張。同時に長年ダム事業に、政治に翻弄され続けてきた水没地区の住民の苦悩に理解を示した。
「八ッ場ダムに係る水没地区住民との意見交換会」に参加 前原国交大臣(10.01.24 民主党プレス)

「コンクリートから人へ」のスローガンのもと八ッ場ダム中止は始まった。しかし――あれから3年が経ち、八ッ場ダムは建設再開、工事は順調に進んでいる。周辺には田舎の山村には不釣り合いな、立派な道路と橋が建設されている。本体もいずれ着工するのだろう。舗装も真新しい快適な道路を走りながら、かつての曲がりくねった崖沿いの細道を思い出し、半ば悲しい心地になった。
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(11.09.19 筆者撮影)

大沢正明知事は17日、衆院選結果について「3年3カ月の間、前に進まない実態を国民が把握し、今の政権には国は託せない、という思いでこのような結果になったと思う。新しい政権には国民の気持ちをしっかりくんで、前に進む政治を行ってほしい。県内で自民党が5議席独占したことは、非常に良かったと思う。八ツ場ダムの問題で長い間苦悩されている方々がいるが、これも一気に解決に向かうと思うので大いに期待している」とするコメントを発表した。
大沢知事「八ツ場解決に期待」(12.12.18 MSN産経ニュース)

前原氏の発言を読む限り、それは決して間違っていなかったように思う。もちろんその説得に失敗したのだ。理念が正しいからといって、それを正義として押し付けることはできない。戦後直後からの懸案だったダム建設、それも数年前に地元の方々は建設に踏み切ったわけだ。これを蒸し返すというのは難しいのだと思う。
しかし、と僕はどうしても付け加えたくなる。そうだとしても、なぜできなかったのだろうと述懐する。どうしてなのだろう。

群馬5区で、自民党の小渕優子氏が5回連続の当選を決めた。

父・恵三元首相の急逝を受けて出馬した2000年の衆院選で初当選。08年には、戦後最年少で少子化相として初入閣するなど、圧倒的な知名度を誇る小渕氏は選挙期間中、応援演説のため全国を駆け回り、ほとんど地元入りをしなかった。

しかし、強力な後援会組織が着実に支持を固め、他の候補を寄せつけなかった。
小渕優子氏、5回連続で当選…群馬5区(12.12.18付 産経ニュース)

それと僕が今回ショックだったのは、この八ッ場ダムのある群馬5区に民主党候補が今回だけでなく前回も候補者を出していないことだった。知らなかったことは恥ずべきだが、驚いた。どうしてなのだろう。負けるからか、そうか。だとしたら、候補も出さない党などどうして信じられるのだろう。

そして、その党に投じた自身について。再考しなければならない。

正直、比例代表だけにならんかなと思う。

もし全国1区比例代表ドント方式なら議席配分はどうだったか - what_a_dudeの日記

上のリンク先には、今回の総得票を比例代表全国1区で配分したらどうなるか、というのをグラフで示しています。そうすると(今回結果→比例代表全国1区に変換、の順)

  • 自民 294議席 →132議席
  • 民主  57議席 → 77議席
  • 維新  54議席 → 98議席

となります。これだと単独過半数とはならないわけで、ある程度の協調路線が図られるでしょう。そもそも投票と得票の大幅なギャップは、単独過半数による方針決定の加速というメリットを超えて、悪い影響があるように思います。

政治学者の菅原琢先生のツイートを引用します。



選挙制度を改革するかどうかは色々議論があるとは思います。上のように単純に比例代表にすれば解決するのか、といえばまたその制度下において新たな問題が出るわけです(比例代表だと連立政権は必須ですから)。
ただ、現状は菅原先生がおっしゃる通り内閣支持率の不可避の低下が起こるでしょう(今回は経済政策の如何で乗り越えるかもしれないと期待しますが)。こういうギャップのある状態は修正されるべきだと思います。