[映画]「バケモノの子」感想
バケモノの子 (スペシャル・エディション) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: バップ
- 発売日: 2016/02/24
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (4件) を見る
「バケモノの子」視聴*1。映画館で観た以来だが、やはり良かったし、今回は違う視点で観れた。公開当時は人に話をしても批評とかを読んでも、「いいんだけど惜しい」という感じのものが多くて、じつは私もそれは半ばわからなくもないんだよな…、という気分ではあった。
で、今回観て素朴に思ったのは、(擬似)親子の話や、もちろん恋愛の話ではなくて、私たちが(男の子が、としたほうがいいのかもしれない) 成長するためには、「私を信頼する誰かが必要だよね」ということを、映像と(評価はわかれるだろうが)ことばを尽くして描いているのだと思った。*2
九太にとって、九太が成長するためには、熊徹も楓もともに必要な存在なのだ。それは逆に言えば、九太も熊徹と楓を支える存在でもある。その関係とは、いわゆる親子関係や恋愛関係として捉えてしまっては逃してしまう。つまりは志を同じくする者=同志なのだろう。武道を高め合う同志、 学問を究めようとする同志。
ここで補助線を引こう。前作「おおかみこどもの雨と雪」において、娘の雪と比べて、息子である雨の物語はあまりうまく描かれなかったように私には思われた*3。狐の師匠というところも近いわけだが、そんなところも含めて「バケモノの子」はこのやり残した雨の物語を描いたものなのだと感じる。
「バケモノの子」では、九太のほんとうの父親がいるが、それはいわゆる「父親的」な振る舞いができない優しい、悪く言えば気弱な父親だ。これに対照的なのが猪王山*4であり「父親的」な立派な振る舞いをする。そのふたりと違った人物が熊鉄だ。
ここからあえて読み替えるとしたら、じっさいの父―息子という関係性も、同志としてあるほうがよいのだ、というのが細田守の回答なのでは、と私は考えている。
あえて難点を言えば、"心の闇"というモチーフは表現として定型的すぎるのではないか。これは公開当時にも感じ、今回も正直変わらなかった。とはいえその延長としてのクジラは、細田監督のエンタメ大サービスとして楽しんた。代々木体育館の上を跳梁する姿は、いやーうつくしすぎる! これに意味なんて求めてはいけない。
※補足
どうせ楓批判があるだろうけど、さっき語った通り理論的に擁護できる。初見時は「貞本絵のショートカットは正義」と押し切ったのであった…
(楓かわいいよ、かえで…)