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yutuki2tuki's blog

なにもしていません

第3回読書会しました+宮沢賢治について

読書

毎月1回大学時代の仲間とやっている読書会も3回目になりました。
今回は宮沢賢治よだかの星』です。

よだかの星 (日本の童話名作選)

よだかの星 (日本の童話名作選)

今回は今までで最多の9人参加でした。

みんなまじめそうです。




今日の資料。よくまとまってます。縦書きがいいね。鴨志田姐さんありがとう!





今回の課題図書とメモ。『よだかの星』は文庫や絵本、青空文庫のテキストなどさまざま形で読めるので、みんな持ってきているものが違ってました。





一応前回からust中継もしてます。どちらかと言うとアーカイブ用になっていますが。


みんなで読むといろんな発見がありとても楽しかったです…とはいえ自分の意見がまとまらなかったのが恥ずかしい限りで。
次は自分が担当するので頑張ります! 門外漢ではありますが生物学の本、読もうと思っています。


それで宮沢賢治についてなのですが、自分は賢治の作品を読みたいと思いつつ敬遠していたので、今回読めたのはとても良かったです。『よだかの星』だけでなく他の作品も読んでいくなかで、僕は賢治の誠実さに心打たれました。賢治の誠実さを集約した言葉が、代表的な作品『銀河鉄道の夜』でも登場する「ほんたうのさいはひ」なのだと思います。

ジヨバンニは、ああ、と深く息しました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになつたねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもう、あのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまはない。」
「うん。僕だつてさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。
けれどもほんたうのさいはひは一體何だらう。
―『銀河鉄道の夜』 九.ジヨバンニの切符

「あのさそり」とはこの少し前に登場する「さそりの火」の話を指している。話を読めばわかる通り『よだかの星』と同型のモチーフとなっている。小さな虫を食べて生きてきたさそりはある日、いたちに追われて逃げる道すがら井戸に落ちて溺れてしまう。そのときさそりはこう祈る。

「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。
そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるって」
―『銀河鉄道の夜』 九.ジヨバンニの切符

仏教と関連して語られる宮沢賢治の思想はキリスト教とも通底する。

「誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。己が生命を愛する者は、これを失ひ、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠(とこしえ)の生命にいたるべし。人もし我に事(つか)へんとせば、我に従へ、わが居(お)る處(ところ)に我を事ふる者もまた居るべし。人もし我に事ふることをせば、我が父これを貴び給はん。」
―「ヨハネ傳」第12章24-26

なにが「ほんたうのさいわひ」なのかはわからないけど。

だけどそれは見せかけなんだ。自分勝手な思いこみなんだ。

祈りみたいなものなんだ。ずっと続くはず無いんだ。

いつかは裏切られるんだ。僕を見捨てるんだ。

でも、僕はもう一度会いたいと思った。

その時の気持ちは…本当だと思うから。
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 第26話「まごころを、君に

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
 いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急きこんで云いました。
 ジョバンニは、
(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。
―『銀河鉄道の夜』 七.北十字とプリオシン海岸


最後に心打たれた詩をひとつ。

春と修羅 第二集
384 告別

おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうにふるはせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ