yutuki2tuki's blog

なにもしていません

運命論についてメモ

 この前茂木健一郎がこんなツイートをしていた。

こど(9)だから、「根拠のない自信」を持っている人は、努力でそれを裏付けようとする。天才とは凄まじいまでの努力をする人のことで、秀才とは中途半端な努力をする人のことである。その意味で、「根拠のない自信」を持ち続けることは、本当に難しい。もしできたら、その人の人生はすばらしい。

https://twitter.com/#!/kenichiromogi/status/167363809806270464

 これについて僕はこんなことを書いた。

茂木 さんの連ツイ「根拠のない自信を持つ人は、努力でそれを裏付けようとする」というのは、確かにそうなのかもしれない。ちなみにこの論理の対偶は「努力で裏付けないのならば、根拠のない自信を持つ人ではない」となる。

https://twitter.com/#!/yutuki2tuki/status/167408582864797696

いや、これはどうでもいいな。

 僕がこのツイートを見て思ったのは、これは努力の定義、正確に言えば努力についての時間軸の変更を行なっているのではないか、ということだ(一応、茂木さんのツイートが書かれた意図とはずれた話をするので気をつけてね)。

一般的に言う「努力」というのは、未来への目標を決めてそれに向かってまさに努力するものだ。それに対して新たな定義の〈努力〉とは、茂木によれば「根拠のない自信」から生じる不安にたいして駆り立てて行われる。このふたつの違いというのは、前者が(仮想された)未来から現在に意味づけがなされるga

。。。と結局挫折した。おんなじかなと。

ちょっと留保