yutuki2tuki's blog

なにもしていません

ことばを大切にすること

舟を編む

舟を編む


最近この本を読みました。辞書を巡る編集者たちの物語です。内容について詳しくは書きませんが、面白く読みました。馬鹿っぽいですが、読後「言葉をたいせつにしたい」そんな風に思いました。
下の引用は、花形のファッション誌編集部から地味な辞書編集部に移ってきた岸辺みどりの、ことばに対する心の変化を率直に書いています。

辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向きあうようになって、私は少し変わった気がする。岸辺はそう思った。言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった。
『舟を編む』p.203

これを読んで、我ながらばからしいですが、言葉をたいせつにしてきたか、とりわけ他人に対して、たいせつなひとに対して言葉をたいせつにしたか、そんなことを考えさせられました。言葉をたいせつにすることは、他人をたいせつにすることと同じなのだと思います。

最近よく書店に行くようになったんです。言葉がほしい、僕の中に語彙が足りない、言葉を渇望していると思ったからです。特に日本の古典を読みたい。そんなこんなでふらふらしたら、こんな本を見つけました。

えんぴつで方丈記 (一般書)

えんぴつで方丈記 (一般書)

ベタです。実にベタです。
この本は、名前の通りえんぴつで方丈記を書く、正確には書き取り練習帳のようになぞるわけです。齋藤孝的で我ながらばからしいですが、これは50編収録されています。なので、毎日これを書いて行こうかな、と老人さながらなことをやろうとしています。

これがよいのは、読む(見る)だけでなく書くことで身体的に言葉を感じられることです。だから買ってみました。もちろん、書いたからといって超オッケーというわけではないと思いますが、習慣にしたいなと思います。

久々のブログ更新でした。

第3回読書会しました+宮沢賢治について

毎月1回大学時代の仲間とやっている読書会も3回目になりました。
今回は宮沢賢治よだかの星』です。

よだかの星 (日本の童話名作選)

よだかの星 (日本の童話名作選)

今回は今までで最多の9人参加でした。

みんなまじめそうです。




今日の資料。よくまとまってます。縦書きがいいね。鴨志田姐さんありがとう!





今回の課題図書とメモ。『よだかの星』は文庫や絵本、青空文庫のテキストなどさまざま形で読めるので、みんな持ってきているものが違ってました。





一応前回からust中継もしてます。どちらかと言うとアーカイブ用になっていますが。


みんなで読むといろんな発見がありとても楽しかったです…とはいえ自分の意見がまとまらなかったのが恥ずかしい限りで。
次は自分が担当するので頑張ります! 門外漢ではありますが生物学の本、読もうと思っています。


それで宮沢賢治についてなのですが、自分は賢治の作品を読みたいと思いつつ敬遠していたので、今回読めたのはとても良かったです。『よだかの星』だけでなく他の作品も読んでいくなかで、僕は賢治の誠実さに心打たれました。賢治の誠実さを集約した言葉が、代表的な作品『銀河鉄道の夜』でも登場する「ほんたうのさいはひ」なのだと思います。

ジヨバンニは、ああ、と深く息しました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになつたねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもう、あのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまはない。」
「うん。僕だつてさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。
けれどもほんたうのさいはひは一體何だらう。
―『銀河鉄道の夜』 九.ジヨバンニの切符

「あのさそり」とはこの少し前に登場する「さそりの火」の話を指している。話を読めばわかる通り『よだかの星』と同型のモチーフとなっている。小さな虫を食べて生きてきたさそりはある日、いたちに追われて逃げる道すがら井戸に落ちて溺れてしまう。そのときさそりはこう祈る。

「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。
そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるって」
―『銀河鉄道の夜』 九.ジヨバンニの切符

仏教と関連して語られる宮沢賢治の思想はキリスト教とも通底する。

「誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。己が生命を愛する者は、これを失ひ、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠(とこしえ)の生命にいたるべし。人もし我に事(つか)へんとせば、我に従へ、わが居(お)る處(ところ)に我を事ふる者もまた居るべし。人もし我に事ふることをせば、我が父これを貴び給はん。」
―「ヨハネ傳」第12章24-26

なにが「ほんたうのさいわひ」なのかはわからないけど。

だけどそれは見せかけなんだ。自分勝手な思いこみなんだ。

祈りみたいなものなんだ。ずっと続くはず無いんだ。

いつかは裏切られるんだ。僕を見捨てるんだ。

でも、僕はもう一度会いたいと思った。

その時の気持ちは…本当だと思うから。
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 第26話「まごころを、君に

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
 いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急きこんで云いました。
 ジョバンニは、
(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。
―『銀河鉄道の夜』 七.北十字とプリオシン海岸


最後に心打たれた詩をひとつ。

春と修羅 第二集
384 告別

おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうにふるはせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

ボストン美術館展に行ってきた


どどん!

これは何でしょう。そうです、龍です。
曾我蕭白雲龍図」。奇っ怪な顔でしょう。これが見たくて今回行って来ました。

特別展「ボストン美術館展 日本美術の至宝」


東京国立博物館

 東洋美術の殿堂と称されるアメリカのボストン美術館には、10万点を超える日本の美術品が収蔵され、その量と質において世界有数の地位を誇っています。この日本美術コレクションは、ボストン美術館草創期に在職したアーネスト・フェノロサ岡倉天心以来収集が続けられてきました。その中には、日本の美術を語る上で欠かすことの出来ない優れた作品が多く含まれ、近年の調査においても多くの重要な作品が見いだされています。
特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝

ボストン美術館にあるので「国宝」にはなりませんが、国宝級の作品ばかりだそうで。作品は奈良時代の仏教画から明治時代の絵画まで幅広くありましたが、個人的には江戸時代の屏風絵などの作品には感激しました。尾形光琳「松島図屏風」長谷川等伯「龍虎図屏風」伊藤若冲「鸚鵡(おうむ)図」「十六羅漢図」、そして曾我蕭白の作品群などなど、作者の名前を挙げるだけで凄いですね。どの作品も素晴らしかったです(絵はこちらにあります)。

ここではその中でも特に面白かった作品をひとつ紹介します。

吉備真備入唐絵巻」

江戸の作品がよかった! と前置きしておいてすぐの平安時代の作品ですw いやこれは全然期待してなかったのですが、ツイッターでこれがよかったというのがあったりして気にはなってたんです。まあ、まずはこれを見て下さい。

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これは何でしょう。まあよくわかんないですよね。ななめ下を向いて人が座っているのはわかると思います。ちなみに左の赤い顔は鬼です。

この作品は平安時代後期に後白河院の命で作成されたそうです。タイトルの通り遣唐使として渡来した吉備真備が唐に行ってきた時の話を絵巻物にしたものですが、何が面白いのかというとその物語。

―時は奈良時代
遣唐使として唐に向かった吉備真備
ようやくかの地に来た真備は着くやいなや楼閣に幽閉されてしまいます
唐の人々は帝の命で日本から来た真備にいじわるをしようと考えているようです
自分からでは降りられない高い楼閣に閉じ込められたまま
しかもそこには鬼が出るとのうわさ……
時を経ずしてやってきた真っ赤な鬼
さあ真備を喰らおうとするかと思いきや、どうやら様子がおかしい
なんとこの鬼、実は唐に行ったまま帰らぬ身となった
阿倍仲麻呂の果ての姿だったのです!
姿は変われど同じ日本人、彼らは協力して帝の仕掛ける難題に挑むのでした―

(筆者の大体の要約)

とまあこんな感じで始まるのですが、さすがに鬼の仲麻呂。すごい。鬼だけに超能力を持ってます。それを駆使して難題はさくさく解決していきます。この絵巻では2つの難題が出されます。まずその1

■「文選」とかまじワカンネだろうから問題出してやろうぜ

「文選」とは隋唐以前を代表する文学作品の多くを網羅した詩文集。日本ではまだ「文選」は知られていませんでした。そんなのを問題にして聞くなんて、なんてセコいやつら!
現代日本で喩えるなら「(」・ω・)」うー(/・ω・)/にゃーって何の作品か知ってるか?」と聞くようなものです(違う)。

「文選」
中国南北朝時代南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集。全30巻。春秋戦国時代から梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録する。隋唐以前を代表する文学作品の多くを網羅しており、中国古典文学の研究者にとって必読書とされる。
文選 (書物) - Wikipedia

当然ながら吉備真備は知らないわけなのでもう大変。じゃあどうするかというと……
かつて一世を風靡したカンニングです。カンニングするため彼らは超能力を駆使して空を飛ぶのです。
そう、さっきの絵は座っているのではなく、座り「ながら」飛んでいる姿なのです!



とはいえイメージがつきにくいと思いましたので、マンガ風に手を加えてみると、
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こうなります。





世の中には不思議な飛び方をするキャラはたくさんいますね。

まずは桃白白。
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次にゴジラ
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そして吉備真備
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むしろ前二つの起源として、吉備真備を置いてもいいかもしれません(キリッ(そんなことはない)。


閑話休題。


屋敷に忍び込み聞き耳を立てながら(この姿も実にユーモラス)カンニングをして「文選」を知った吉備真備は、やってきた帝の使いに「『文選』とかマジ知ってるんですけど」とドヤ顔で答えます。その一部始終は展覧会のHPのほうがわかりやすいのでご覧下さい。



まんまと答えたことに驚いた帝は次の難題を出します。

■「囲碁」とかまじワカンネだろうから勝負してやろうぜ

「囲碁」とは交互に盤上に石を置いていき領域の広さを争うボードゲームの一種…まあいわゆる囲碁です。日本ではまだ「囲碁」は知られていませんでした。囲碁の「い」の字も知らない吉備真備にそんな勝負挑むなんて、なんてセコいやつら! 現代日本で喩えるなら「お前、ドリランドで勝負しろ!」と言うようなものです。僕すら知らないドリランド!

真備は幽閉されている天井の格子を碁盤に見立てながら囲碁の練習はしたようです。囲碁はチートできるドリランドとは違いますしね。むしろ超チート力である超能力も勝負においては使いませんでした。「勝負は正々堂々とかカッコいいな真備…!」、とか思いきや

碁石を飲み込んで勝ちました。

なんだよそれ。普通にズルかと。普通にバレるだろうと。
当然ながら唐の人々から怪しい目で見られます(そう絵に書いてあります)。
ということで下剤を飲まされることに……
ここで超能力の登場(遅い) 碁石は超能力によってどっかに行きました。碁石の見つからない真備の嘔吐物を唐の人々が見つめるシーンがあるのですが、これが実に寂しげです。

そんな感じの話が四巻全25mもの絵巻物で描かれます。なんで法皇様はこんなの作らせたのだろうか……。もうひとつ展示されている平治物語絵巻 三条殿夜討巻」が、その後白河院を拉致した平治の乱を描いたダイナミックかつスリリングな作品なだけに、よけい印象的でした。展覧会でこんなニヤニヤしながら見たのも初めてでした。


「吉備大臣入唐絵巻」について書きませんでしたが、一番初めに挙げた通り、なかなか見れない日本の傑作が揃った展覧会です。特に曾我蕭白の「雲龍図」は見る価値大です。
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横10m超の巨大な作品です! でかすぎてブログの幅だと小さくなるジレンマに陥ってますが、本物は圧巻です! これ終わったらいつボストンから帰ってくるかわかんないですからね。

あと今日のお土産。

個人的にはキュートな「龍雲図」がプリントされたトートバックが一押しです。

とまあ、興味を持たれた方はぜひ足を運んでみてください。

トルヴェールの演奏会に行ってきた

2012年 4月 3日(火)19:30開演
会場:南青山MANDALA
横内章次:バラード・フォー・トルヴェール、ホルコム:Doo-Dah組曲、アルベニスカディスピアソラ:勝利、ピアソラミケランジェロピアソラブエノスアイレスの四季より「春」・「夏」、長生淳:Tipsy Tune、佐橋俊彦:With You ほか、ソロ演奏もあります
http://www.concert.co.jp/concert/detail/205/


トルヴェール・クヮルテット(ちっちゃい「ヮ」って初めて使った)といえば、誰もが知っている有名サキソフォンクヮルテットなわけですが、今回はじめてその演奏を生で聴いて来ました。
しかも場所は、南青山マンダラ。
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こんな素敵な場所。なんせ南青山ですからw

演奏は…いやーもう素晴らしいです。素晴らしい。こんな素晴らしい四重奏団が日本にいるというのが幸せですね。ちなみにトルヴェールは今年で結成25周年だそうで(10月には記念演奏会があるみたいでそちらも行けたら行きたい)、四半世紀の歴史を持った四重奏団、弦楽ならまだしも、サックスではほとんどないんじゃないでしょうか(よくわかんないけど)。
プログラムはトルヴェールおなじみのピアソラに長尾作品、それぞれのソロ曲や楽しいトーク、そしてアンコールは超かっこいいジャズアレンジのドリカム(!)まで、多様で魅力的な、充実した一夜でした。
バンドネオン修行中の僕としては、まず前半のピアソラ4作品に鳥肌を立てながら聴いていました。緊張感に満ちた「勝利」、パッション溢れた「ミケランジェロ」、「ブエノスアイレスの春」「夏」は調子に乗ってCDまで買ってしまいました。
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サイン入り。

後半はそれぞれがソロ曲を披露、特に新井先生のチェロ協奏曲(作曲者を失念…)の演奏には感動してしまいました。サインをもらうときに「素晴らしかったです!」とお声がけをしたのですが、とても謙遜されたご様子でとても人柄が伝わって来ました。人柄といえば、トルヴェールの皆さんはトークはもちろん演奏でもとても気心をしれた感じが伝わってきて、それが一層魅力に感じました。同じメンバーで25年、よく考えればなかなか続くものではないですよね。

そんな感じのトークの後、プログラムのハイライトである長生淳「Tipsy Tune」。「16分ほどの長い曲」とアナウンスしてからの演奏でしたが、長さなんで感じない充実した楽曲、そして演奏でした。当日曲目解説みたいなのはなかったのでよくはわからないのですが、古今東西のジプシー旋律がモチーフになった曲(チャールダーシュとか)の数々を連想的に超絶技巧で繋げていくような、そんな曲です。パフォーマンス的なところもあったりなのですが、何よりも楽曲が面白かったです。最後に東日本大震災へ向けて作曲された佐橋俊彦「With You」。ジャジーで美しい楽曲でした。こちらは楽譜も出版されるとのこと。アンコールには先にも書いたドリカムメドレー(これは本当にいい曲)、トルヴェールではお馴染みらしい都道府県の名前に音程とリズムをつけて歌う(これだとよくわかんないな)遊びみたいなのをやってました。

とてもいい演奏会で、しかもここはジャズバーなのでお酒を飲みながら聴いてました。今度はひとりじゃなくて誰かと行きたいですね。楽しかったです!

石原吉郎 「花であること」

花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
あり得ぬ日々をこえて
花でしかついにあり得ぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ
  (石原吉郎サンチョ・パンサの帰郷』「花であること」)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/kano/sato.htmlより転載

太陽を盗んだ男 メモ

太陽を盗んだ男 ULTIMATE PREMIUM EDITION [DVD]

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ごくごく普通の中学教師が、プルトニウムを盗み出して自らの手で原爆を作り上げ、国家に挑戦していく姿を描いた、伝説の監督・長谷川和彦による反体制的ピカレスク・ロマン。一見荒唐無稽風でアラも多いが、それを凌駕(りょうが)する映画のパワーに満ち満ちている快作であり、20世紀を代表する日本映画の1本にこれを推す者も多い。
特に、前半の原爆を製造する際の描写が秀逸だ。いつもフーセンガムをふくらませている頼りなげな犯人を沢田研二が好演。また、彼が要求する事項が「TVのナイター中継を最後まで見せろ(79年当時は、放映時間が定められていたのだ)」とか「ローリングストーンズを日本に呼べ(当時、彼らは麻薬所持のせいで日本に入国できなかった)」と、何とも時代の空気を感じさせる。対する体制側には菅原文太というキャスティングの意外性もおもしろい。(amazon商品説明より転載)

まずはこの動画を見て欲しい。この映画がまず何よりも、アクション映画としてすごい映画だということがわかると思う。

冒頭のカーアクションもさることながら4:00あたりのヘリコプターからの落下シーンも肝をひやりとさせられる。

アクション映画としての側面はありつつも、この映画のほんとうの主題とは戦後日本の空虚さなのだろう。タイトルにある「太陽」とは素朴な意味では「原子力」であるが、その裏にあるのは日の丸つまり「日本」である。原子力を手に入れた主人公の城戸は、国家に対して要求を行うが、しかし彼が求めるのは、先の引用にあった通り「TVのナイター中継を最後まで見せろ」であり「ローリングストーンズを日本に呼べ」であり、また街中にばら撒かれる5億円である。これらには理念も何もない。消費者としての個人の要求でしかない。
これと対比的にあるのが、冒頭に登場するバスジャック犯である。彼は戦争で息子を亡くした男であり、その要求とは「陛下に会ってお話をしたい」ということ。特攻姿にマシンガンと手りゅう弾を持った男は、語ってはいないものの天皇を命を狙っていたのだろう。付け加えておくが彼の天皇への思いは屈折している。敬意と憎しみが混在している(そしてその描き方はただしいように思う)。

終盤、犯人を追う刑事・山下と犯人の城戸が対峙する場面。ローリングストーンズの来ない日本武道館(中心のない空虚さ)を背に、城戸と山下が語る。場所は皇居のすぐ近く、科学技術館の屋上。

城戸 俺が間違っていた―あんたもただの犬だ。
山下 ああ俺は犬だ。30年間体を張って、この街を守ってきた犬だ。
城戸 この街はもうとっくに死んでいる。死んでしまっているものを殺して、何の罪になるというんだ。
山下 ふざけるな! お前のようなやつに人を殺す権利などあるもんか。お前が殺していいたったひとりの人間は、お前自身だ。お前がいちばん殺したがっている人間は、お前自身だっ! 死ねえ!

公開されたのは79年。まさにバブル時代の直前だ。この語りと類似しているのが、押井守パトレイバー2」の終盤にある。ちなみにこちらは93年、バブルの終わった後、東京・夢の島で語られる。

柘植  ここからだと、あの街が蜃気楼の様に見える。そう思わないか
しのぶ 例え幻であろうと、あの街ではそれを現実として生きる人々がいる。それともあなたにはその人達も幻に見えるの
柘植  3年前、この街に戻ってから俺もその幻の中で生きてきた。そしてそれが幻であることを知らせようとしたが、結局最初の砲声が轟くまで誰も気付きはしなかった。いや、もしかしたら今も
しのぶ 今こうしてあなたの前に立っている私は、幻ではないわ

スタンド・バイ・ミー

90分ほどの尺で、大きなヤマ場があるとかそういうこともない。普通の作品、といえばそうかもしれない。
要は少年たちの成長の物語である。自らの信じられない少年が、その自分を信じてくれる友と互いに支え合いながら、ひと夏の冒険をする。目的は「死」体探しであるが、その過程を通して彼らは人「生」を持ち帰ってくる。通過儀礼から帰ってきた彼らに街が小さく見えるのはまぎれもない事実だ。
そう、じつに感動的じゃないか。